ホンダ コレクションホール (レーサー編)

 市販車編の次はレーサー編をご紹介したいと思います。ここに展示してある車両は原則動態保存ですから、レーサーといえども実際に走らせることが可能で、通常はこのように静態で展示してありますが、ツインリンクもてぎで行われる動態保存確認テストでは、往年のライダーやドライバー(タイヤショップウルフMotoの親父・北野元とか宮城光とか)がこれらのレーサーを走らせたりしています。それでは、市販車編に続きレーサー編にいってみようかぁ〜!




NR500 【画像下】
 
楕円ピストン(1気筒当たり8バルブ2コンロッド)で有名なNRが展示してあります。今でこそGP最高峰は4ストロークですが、当時は2スト500ccが主流のなか、あえて不利な4ストで挑戦していたのがホンダでした。給排気効率を上げる為にバルブの数を増やして、燃焼室に収めるため楕円ピストンとしました。また、軽量化を図る為、エンジンにマグ部品を使ったり、他社がスチールのパイプフレームの時代にカーボンフレームを採用したりしていました。


NS500 【画像下】
 
NRでは結局、思い通りの結果を残せず敢え無く2ストV3にスイッチです。まぁ、はっきり言って同排気量では4ストに勝ち目はないです。なんてたって2ストは4ストの倍、爆発してる訳ですから・・・仕組みも簡単なので軽いし有利なのは燃費くらいか、でも耐久じゃないので燃費は関係ないし・・そんな訳で、2ストにスイッチして若きホープのフレディ・スペンサーを乗っけたところ、あっけなくチャンピオン獲得です。当時はヤマハのケニーロバーツとの争いが熾烈でした。


NSR500 【画像下】
 
NSが進化してV3からV4エンジンになったのがNSRです。しかし、ひと口にNSRと言っても色々あって、画像下左のNSRは通常の燃料タンク位置にチャンバーが収まっており、それをダミーのタンクカバーで覆っています。実際のタンクはエンジン下に配置されており、多分、低重心化を狙ったんだろうなぁ・・・この頃まではホイールはお得意のコムスターで、キャストとスポークの良さを兼ね備えたという、うたい文句だったけどね(苦笑)


NSR500
エディ・ローソン車


 1989年にエディ・ローソンがチャンピオンに輝いたマシンです。エディといえばマルボロヤマハのYZRのイメージが強いですがロスマンズカラーのNSRでもチャンピオンを獲得しています。バンク角を稼ぐためチャンバーを内側に追い込むのに邪魔になるスイングアームを曲げてガルアームとしたのもこの頃です。この後、マイケル・ドゥーハンが1994〜98までロスマンズカラーのNSRで5年連続チャンピオンになるんだよね!


H1R & RGA500 & elfホンダ 【画像下】
 
ホンダ以外のレーサーも展示されています。画像左上段のカワサキH1Rは空冷3気筒のマッハVエンジンをベースにしたマシンで、画像左下段はスズキのRGA500でバリーシーンが乗ったマシンだそうです。エンジンは水冷のスクエア4で、管理人的にはRGBは知っていてもRGAは知りませんでした。画像左は足回りが特徴的なロケットロン(ロン・ハスラム)が乗ったエルフホンダです。


RC211V

 4ストロークの時代のレーサーRC211Vも展示してあります。エンジンは変則的なDOHCのV5エンジンで、キャメルカラーのゼッケン6のマシンは玉田誠選手が乗ったマシンです。ひときわ派手なゼッケン46番のレプソルは2003年のロッシのマシンで、69番のレプソルはニッキー・ヘイデン車で、3台共990cc時代の車両です。(現在のレギュレーションは800cc)


NSR加藤大治郎車 【画像下】
 
画像下左のゼッケン74のNSR250は2001年に故、加藤大治郎が世界GP250でチャンピオンに輝いたマシンです。一番、加藤大治郎がノリにノっていた時代だったなぁ〜 画像下右はその翌年、最高峰クラスにステップアップした加藤大治郎のNSR500で、その次の年に鈴鹿のシケイン進入で悲劇が起きてしまいます。


NSR250アドバンス宇川 & マルボロビアッジ 【画像下】
 
画像下右のシェルアドバンスカラーのNSR250といえばやっぱ宇川徹だよなぁ〜 この頃の250ccや125ccクラスでは日本人が活躍してたよね! 画像下右のマルボロカラーのNSR250は1997年にビアッジがチャンピオンになったマシンみたいですが、マルボロカラーというと管理人的にはヤマハのYZRのイメージだな・・・


スペンサーCB750F

 カワサキのZに乗っている管理人から見ても、ライバル車のホンダAMAスペンサー仕様のCB750Fは格好いいよなぁ〜 アメホンが造ったらしいけど、前輪はノーマルの19インチから初期の頃は18インチに変更してたけど、この頃になるとホンダお得意の16インチになっています。フェンダーのRが合わないから無理やり曲げて合わせて、元に戻らないようにモヒカンのようなステーが付いているのが特徴的です。


RCB1000

 ホンダの耐久レーサーのRCB1000です。ホンダは当時、まだDOHCの市販車を発売しておらず、SOHCのCBのエンジンをベースにDOHC4バルブ化したのが、RCB1000で、後の市販車のCB750Fや900Fのエンジンのベースとなったマシンです。ヨーロッパで盛んだった耐久選手権でデビューイヤーに開幕戦で勝利し、その後無敵艦隊を築きチャンピオンマシンとなりました。


RS1000 【画像下】
 
管理人的にはRCBより、市販車のCB750Fや900FをベースにしたこのRS1000の方が馴染み深いなぁ〜 このゼッケン1のマシンは1981年の鈴鹿8耐でデビット・アルダナとマイク・ボールドウィン組が優勝したマシンだそうです。この頃はまだプライベーターのヨシムラが対等に戦っていた頃(現在はメーカー色がより濃い)で、まだHRCじゃなくてRSCだったよなぁ


RS850R & RS750R 【画像下】
 
ホンダの耐久レーサーは空冷並列4気筒から水冷V型4気筒へ変更、画像下左1983年仕様のRS850Rは市販車VF750Fのエンジンがベースの為か、排気量が1000cc時代なのに850ccでした。翌年、レギュレーションが変更になり排気量上限が750ccになって、それに合致させたのが画像下右の1984年仕様のRS750Rです。


RVF750 ロスマンズ

 RS750RからV型エンジンは更に発展してRVF750へ、RVFというと管理人的にはワイン・ガードナーのイメージですが、ロスマンズカラーのゼッケン1のマシンはパトリック・イゴアとジェラルド・コードレイが1985年に鈴鹿8耐で走らせたマシンだそうです。管理人が鈴鹿8耐を観に行ったのはその翌年で、1985仕様と異なりプロアーム化されていました。(’86鈴鹿8時間耐久レース参照)


RVF750 ampm 

 画像のRVFは1993年にエディー・ローソンと辻本聡が鈴鹿8耐で2位になったマシンだそうです。1984年の8耐でダイシンレーシングから参戦して11位に入賞したことからヨシムラ入りした辻本さんは、その後AMAでシュワンツなんかと油冷初期型のGSX-Rで戦っていましたが怪我により帰国、その後はampmのスポンサーを得て全日本で500ccクラスを走っていました。


NR750

 GP500ccで楕円ピストンのNR戦っていたホンダは、10年以上経ってルマン24時間耐久にNRを投入! 雑誌「ライダースクラブ」でお馴染みの根本健らが参戦して予選2位になるものの、結局決勝はリタイヤとなったマシンです。その後、NRが日の目を浴びることはありませんでしたが、楕円ピストンは市販車にも採用されNRとして販売されたものの、バカ高くて売れ残ったらしい・・・。


 ここからは、レーサー編といっても2輪ではなく4輪のレーシングマシンの紹介になります。ずらりと並ぶ葉巻型のF1はホンダF1第1期で、幼少の頃の図鑑のF1はこんな形だったけど、はっきり言ってあまり良く分かりません! 管理人の世代のF1と言えばやっぱ6輪タイレルの時代からだよなぁ〜


マーチホンダ

 日本人初のF1パイロット・ヨネスケ・・・(すみません中嶋悟さんです。)がF2時代に乗っていたマシンのようです。この当時はF1の下のフォーミュラカーのカテゴリーと言えばF2で、その下にF3、FJが続きますが、F2はいつの間にか無くなってF3000へ、そして現在はフォーミュラニッポンやGP2というカテゴリーに変更になっています。何故にF2だけ無くなってしまったのですかね?


スピリットホンダ & ウィリアムズFW09 【画像下】
 
ホンダの第2期F1の挑戦はこのスピリットホンダから始まります。画像下左のゼッケン40のマシンはステファン・ヨハンソンが乗ったマシンだそうです。画像下右のウィリアムズFW09はホンダがF1復帰後初優勝したマシンで、ドライバーはケケ・ロズベルグです。現在、ミハエル・シューマッハのチームメイトとしてメルセデスで活躍しているニコ・ロズベルグはケケの息子ですよぉ〜!
ウィリアムズFW11

 FW11はサーキットの無法者・・・いや暴れん坊将軍と言った方がいいかな・・のナイジェル・マンセルのドライビングでアイルトン・セナと激しいバトルを繰り広げたマシンです。エンジンは1.5リッターツインターボエンジンで、出力は1,000馬力以上、予選時のフルブースト時は1,500馬力以上とも言われ最もパワー競争が激しかった時代のF1マシンです。


キャメルロータス99T 【画像下】
 
ヨネスケ・・・じゃなくて中さん(中嶋悟)が初めてF1に挑戦した時のマシンです。この時のチームメイトはアイルトン・セナで、ホンダはウィリアムズとロータスの計4台にエンジンを供給していました。この年の中嶋の最高は4位で、最強ホンダエンジンユーザーの中で唯一表彰台に上れずホンダの申し子と言われました。


マクラーレンMP4/4

 セナキチ(アイルトンファン)が見たら泣いて喜ぶようなマクラーレンMP4/4も展示してあります。昔から(M23のジェームス・ハントの時代ね!)マクラーレンが大好きな管理人ですが、天邪鬼なのでこのホンダエンジンのマクラーレンはちょっとなぁ・・・やっぱ歴代のマクラーレンの中じゃ、ハントが乗ったM26とTAGポルシェ時代にアラン・プロストとステファン・ヨハンソンが乗ったMP4/3が一番好きかなぁ


DHLホンダEJ12 & BARホンダ006 【画像下】
 
ホンダF1第3期の佐藤琢磨が乗ったマシンも展示してあります。馬力規制を行う為にブース制限を行い1.5リッターのターボ時代は幕を閉じました。その後のホンダはV12の高出力とV8のコンパクトさを兼ね備えた変則的なV10エンジンを採用しました。以後、排気量は2,400ccになるまでV10は採用され、この時代のF1の基本形のエンジンとして確立されました。


ホンダRA107

 このアースカラー(よぉ〜く見るとボディは地球に塗られている。)のRA107は2007年仕様で、この年に富士でのF1が31年振りに開催され、管理人も富士スピードウェイへ足を運びました。(F1グランプリin富士スピードウェイ参照)でも、環境を意識したカラーと共に成績もパッとせず、型落ちのスーパアグリに負けたりしてました。


インディーカー 【画像下】
 
昨年、初めて観戦したインディのマシンも展示してあります。セブイレブンカラーのマシンはお馴染みトニー・カナーンの2004年モデルの車両で、画像下右はインディ500でホンダが初めて初優勝したマシンだそうです。まぁ、現在はシャシーもエンジンもタイヤも同一のワンメイクで争われているけどね(苦笑)


800レース仕様

 1968年に鈴鹿の12時間耐久レースでクラス優勝した車両だそうで、総合でも3000ccクラスと渡り合い3位に入賞したそうですって言っても1968年だと管理人はまだ2歳なので、はっきり言ってエスロクだのエスハチだの言われても良く分かんないわな・・・どちらかというとヨタハチの方が、トヨタ2000GTのイメージからかまだ馴染み深いです。


無限シビックSi & 中子アコードカストロール 【画像下】
 
無限シビックは岡田秀樹と中子修ペアが全日本ツーリングカー選手権でダブルタイトルを獲得したマシンです。そういや、インターテックでは中子選手のサインを貰ったっけなぁ〜(’88・89インターTECin富士スピードウェイ参照)もう一台のカストロールカラーのアコードSiRはJTCCのマシンで、4ドアセダンの為かあまり人気無かったよなぁ・・ヨーロッパじゃ人気のカテゴリーなんだけどね(苦笑)



編集後記

 今回はレーサー編ということで展示車両をご紹介してみました。今回ご紹介したもの以外にも沢山のレーサーが展示してありましたが、前回の市販車編と同様に管理人の独断と偏見によりピックアップさせて戴きました。はっきり言ってもっと古い車両もありましたが、半キャップにゴーグルスタイルで乗っていたアルミ叩き出しカウルの時代のレーサーなんて全く分からないし、葉巻型のF1なんてのも幼少の図鑑の中だけの世界で全く分からないので(せいぜい古くてもエマーソン・フィッティパルディが乗ったロータス72くらいまでだなぁ 管理人の世代だと・・・)その時代の車両は割愛させて貰いました。よって興味のある方は是非一度足を運んで実車を見てみては如何だろうか。






inserted by FC2 system