第27&28回東京モーターショー(1987・89)

 東京モーターショー第2弾は1987年と89年に行われた第27・28回東京モーターショーの模様をご紹介したいと思います。前回の83年東京モーターショーと同様に管理人の個人的趣味から市販車の画像は殆ど無く、レーサーの写真しかありません。しかし、こうやって振り返ってみると、各メーカー共レーサーの展示が多くレースに力を入れていた様子が窺えます。故本田宗一郎氏はレースを「走る実験室」なんて言っており、市販車の開発にも役立てていました。それではレーサーレプリカブーム真っ只中の1987・89年の東京モーターショーにいってみようか〜




スズキフランスGSX-R750
 GSX-R750は1983年に鈴鹿8耐で優勝したGS1000Rをベースに開発されたマシンで当時の管理人の憧れのマシンだったなぁ〜 エンジンは水冷が主流になりつつある中で、軽量化を図るために油冷化して、乾燥重量は179kgの脅威のスペックで衝撃的でした。スズキフランスのGSX-R750はカラーリングも市販モデルとほぼ同じで馴染み深かったよね!



ヨシムラGSX-R750

 ヨシムラのGSX-R750です。この頃のヨシムラのマシンはスポンサーがモチュールからオリオフィアットに変った時期ですかね!スズキフランスのブルーと対照的な赤・黒のカラーリングが格好いいです。そう言やぁ、市販モデルにも乾式クラッチにシングルシート、ガンメタと赤のツートンに身をまとった限定のGSX-R750Rなるものも発売されたっけ!


YZR250&YZR500

 言わずと知れたヤマハのワークスマシンのYZRです。マルボロカラーのゼッケン1はエディローソン車かな?この頃は市販車にもワークスカラーを身にまとった限定車も発売されたりして、このYZRを真似てかTZR250にマルボロカラーの限定車があったっけ!



TECH21 YZF750
 資生堂TECH21カラーのYZF750ですが、このモデルは片持ちのスイングアームです。片持ちアームと言えばホンダのRVFがお得意ですが、耐久用にタイヤ交換の時間短縮の為にヤマハも採用したみたいです。しかし、ホンダみたいに市販車に導入されることは有りませんでした。このマシンはもしかして87年8耐優勝車か?



ホンダ RVF750

 ゼッケン2のRVF750はドミニクサロン車ですかね?この頃のホンダはRVF艦隊を築き上げており、鈴鹿の8耐では常勝マシンだったよね!それに追いついてきたのがヤマハのYZF750で、平さんは毎年参戦するものの勝てそうで勝てなくって、残り10分でマシントラブルによりリタイヤした年もあったなぁ〜


ホンダ NSR500

 ゼッケン2のNSR500はワインガードナー車です。この頃のガードナーは強かったよね! 特にマシンコトロールが凄くて何であれでコケないの?って乗り方で迫力があったなぁ〜 そう言えば、一時期4輪のGTカー選手権にスープラかなんかで参戦してたみたいだけど、最近見ないけどどうしたんだろう?


ホンダ NR750

 楕円ピストンで有名なNR750です。スクリーンのライダー名からしてマルコムキャンベル車みたいですが、このNR750はルマン24時間耐久レースに根本健なんかと参戦したこともあるそうです。結果はマシントラブルによるリタイヤだったらしいけど、予選はRVF750に続き2位だったそうで、戦闘力はそれなりに高かったみたいです!



ホンダ VFR750R(RC30)
 ホンダがついにすんごいレプリカ発表しました! RVF750そのまんまのルックスで格好良かったなぁ〜 V型の音は嫌いだったけどね・・・確か価格もいい値段(148万円)で、市販モデルとは名ばかりのプライベーター用のレーサーベースマシンでした。確か販売台数も1000台の限定だったはず!でもその後400のNC30が発売されて影薄くなったけどね(苦笑)



ドカティ750サンタモニカ
 
 ドカティの750 来てぇ〜♪ 来てぇ〜♪ 来てぇ〜♪ 来てぇ〜♪ サンタモニカ〜(by桜田淳子)とかいうモデルみたいです。今でこそドカはMOTO GPにも参戦しており、若者にも人気のメーカーとなりましたが、レーサーレプリカの当時ははっきり言ってお金持ちのオジサン趣向のバイクといったイメージでした。


リコーGTS-R

 グループA仕様のリコーのGTS-Rですな! スカイラインはS20のGTRからジャパンターボのL20ET、RSターボになって直6から直4のFJ20ET、そしてセブンスになって再び直6のRB20DETへと進化して、TO4Eタービンを装着したこの限定GTS-Rを投入しましたが、その後RB26DET搭載のBNR32登場までGTRのネーミングが復活することはありませんでした。


セリカGT-FOUR

 恋人がサンタクロ〜ス♪ 背の高いサンタクロ〜ス♪ と、背の低いちんちくりんのブ男でも週末の夜8時にはユーミンにサンタに仕立て上げられるほど人気絶頂だったセリカGT-FOURです。まさに「私をスキーに連れてって!」の時代だったよねぇ〜 WRCでも大活躍してた頃でドライバーはカンクネンだったけかな?




第28回東京モーターショー(1989)
 さて、1987年の第27回東京モーターショーの次は1989年の第28回の東京モーターショーにいってみたいと思います。前回の第27回までは晴海の東京見本市会場でずっと開催されておりましたが、1989年の第28回からは会場を幕張メッセに移して開催となり、以後、ずっと現在に至るまで幕張メッセで開催されております。



ラッキーストライクヤマハ YZR500 
 ラッキーストライクカラーのYZR500はランディ・マモラ車かな? この頃はレース関係のスポンサーと言えばタバコ関係が多かったよね! マルボロやロスマンズ、ゴロワーズなんかもあったけど、いつからか、国によってはタバコのCMが禁止されてしまったことからタバコスポンサーが激減してしまいました。禁煙の波がレース業界まで及ぶなんて!


ペプシスズキRGV-γ

 ゼッケン34のペプシカラーのRGV-γは言わずと知れたケビン・シュワンツ車です。AMAのスーパーバイクにGSX-R750で辻本と参戦していたシュワンツも格好良かったけど、その後WGPに参戦してホンダとヤマハの戦いに切り込んだのはシュワンツのおかげだよね!このペプシカラーも市販車のRGV250γの限定カラーになってたよな!


ホンダ NSR500

 エディ・ローソンというとマルボロカラーのヤマハYZRというイメージですが、89年はゼッケン1のNSR500に乗ってたんですね!しかも、この年にはチャンピオンになっているなんて知らなかった! でも、エディのイメージはカワサキZ1000Rのライムグリーンかヤマハのマルボロカラーでしょう!


TECH21ヤマハ YZF750
 
 相変わらず資生堂のTECH21がスポンサーなものの、カラーリングが江戸むらさき・・・じゃなくて薄むらさきっぽい水色から、ツートンカラーに変更になっています。確かこの時のペアライダーはジョン・コシンスキーだっけかな!結局この年もリタイヤで平さんが8耐で優勝するのは90年までおあずけです。


ホンダ RVF750

 このゼッケン11のRVF750はガードナーがミック・ドゥーハンとペアで8耐に参戦した時のマシンのようです。この頃の8耐の結果を見てみるとガードナーは予選では殆どポールポジションを獲っており、決勝でも4回優勝していることから、いかにこのガードナーとRVFが強かったことが分かります。


ZXR−7
 
 個人的にはカワサキのレプリカモデルの中でも最も格好良かったと思うZXR−7です。ゼッケン1ということはチャンピオン車ですかね!スポンサーからするとワールドスーパーバイクの車両でしょうか?ゼッケン57のライト付き車両は8耐用マシンでゼッケン4の信越化学のスポンサーマシンは国内TTF−1用マシンといいったところですかね!


信越カワサキZXR 
 う〜ん、管理人にとってカワサキはレーサーレプリカ時代に取り残されたイメージなんだよなぁ〜 学生時代におけるカワサキミのドルクラスの車両といえばGPz400Rだったし(汗) このZXRが発売されてやっと他メーカーに追いついたといったところですか(苦笑)


カルソニック日産GTR
 
 KPGC10の初代GTRからBNR32になってやっとGTRの名が復活しました。このカルソニックカラーのGTRのドライバーは日本一速い男の星野一義と影山正彦ペアだっけかな! 管理人も富士スピードウェイにインターテックを観に行ったけど、反則な位ダントツに速かったよね!(
1991インターTEC参照)


YHR日産R89C

 日産のCカーR89Cです。このR89Cからはシャシーがマーチ製からロ〜ラ♪(by西城秀樹)製に変り、日産初のカーボンモノコックのシャシーになりました。エンジンは3.5リッターのV8ツインターボでエンジンがシャシー構造の一部になっているなんて、まるでニンジャのようです!


デンソートヨタ89CV

 デンソートヨタ89CVですかね? この頃はグループCのレースも流行っていたよね! 管理人も冨士スピードウェイによく観にいったなぁ〜(富士1000kmレース&WEC in JAPAN参照)結局、トヨタ89CVもルマンでの勝利を目指して開発してきたんだろうけど結果残せなかったよね・・・


チャージマツダ787
 チャージマツダの787ですかね? この787はカーボンモノコックのシャシーに4ローターのNAエンジンで、ポート形状は当然ペリフェラルポートですかね? この後の91年には787の改良型の787Bがルマンを制することになります。これは国産車で最初の快挙でした。


編集後記

 今回は1987・89年の第27回と第29回東京モーターショーの模様を紹介してみました。前回ご紹介した
1983年モーターショーは、レーサーレプリカブームのはしりの頃でしたが、この頃になると、レーサーレプリカブーム真っ只中で、各メーカーの争いも熾烈になり、かなり過激なモデルも市販されました。スポンサーカラーを身にまとった限定モデルだけでなく、クロスミッションや乾式クラッチを搭載したSPモデルといったものまで登場し、とても公道を走るバイクとは思えないものまで発売されました。また、モデルチェンジも毎年行われるようになり、結局それについて行けなくなったユーザーの心は一気に冷めてしまい、まるでデジャブのようにレプリカブームは去っていきました。もう二度とあんな時代は訪れないと思うのですが、今思えば、あの頃はあの頃で良かったなぁ〜 あんなに盛り上がることは今後きっとないのだろう・・・







inserted by FC2 system