’83 第25回東京モーターショー

 今回は管理人がはじめて行った東京モーターショーの写真が出てきたのでご紹介したいと思います。この頃は今みたいに幕張メッセや東京ビックサイトが無くて、東京モーターショーといえば東京国際見本市会場(通称:晴海)でした。今は更地になって無くなってしまったけど、レインボーブリッジから見るとちょうど真横の海を隔てた対岸辺りにあって(勿論当時はレインボーブリッジはありませんが)、メッセやビックサイトみたいに綺麗ではなかったけど、当時のモーターショーはとても活気がありました。




スズキフランス GS1000R
 83年の夏の鈴鹿8時間耐久レースを制したのはHBカラーのスズキフランスのGS1000Rでした。鈴鹿では初の耐久チームの勝利(モアノー・ユービン組)で、1000cc最後のウィナーであり翌年から4ストローク750ccまでとレギュレーションが変更になりました。このマシンをベースに初期型油冷GSX−R750が造られたのはあまりにも有名ですが、外観は殆ど同じものの、エンジンは2バルブの空冷GS1000がベース(4バルブのGSXはパワー的には有利なものの熱的問題で耐久性に難有り)だったりします。また。HBカラーは市販車のGSX−R400やRG250γ(U型)の限定車として採用されたりしました。



スズキRG500γ
 スズキのワークスマシンのRGγです。このHBカラーカラーはフランコ・ウンチーニ(ウンチやないでー バリバリ伝説より)と言いたいところですがゼッケン#6はランディ ・マモラ車みたいです。ウンチーニは82年チャンピオンで83年はゼッケン#1だった。


ホンダNS500
 ホンダのNS500はV型3気筒のワークスマシン(市販レーサーはRS500R)で、ゼッケン#3はフレディ・スペンサー車です。ホイールはホンダお得意の前後16インチの星型コムスターホイール(スポークとキャストホイールのいいとこ取りと言われていた)です。



ホンダNR500
 NS500以前のホンダワークスマシンのNR500です。4ストローク楕円ピストンV型4気筒32バルブのマシンです。(1気筒当たり8バルブでセーリングの竹内社長が昔楕円ピストン持ってたけどどこいったんだろう・・・)フレームはカーボン、エンジンにもマグをふんだんに使って軽量化したものの結果を残せなかった伝説のマシンです。まぁ、4ストに拘るホンダらしいですが同排気量で2ストと戦うのは無理があったようで、2ストのNSにバトンタッチすることになりました。年式は異なるものの確かモテギのコレクションホールでも見られるはずです。



ホンダRS850R
 ホンダの耐久マシーンのRS850Rです。RVFの前身となるマシンでベースとなるマシンはVF750と思われます。1000ccのレギュレーションの中で850ccで戦っておりゼッケン#5はフレッド・マーケル車と思われます。


ヤマハYZR500
 ヤマハのワークスレーサーYZR500(OW07)で、ゼッケン#4はケニーロバーツ車と思われます。アルミのデルタボックスフーレムにV4エンジンを搭載する形式は今後のYZRの基本形となる構成です。ホイール径はまだ前後18インチです。


ヤマハTZ250
 ヤマハの市販レーサーTZ250です。250クラスはこの頃はワークス体制が整っておらずワークスのYZRやNSRがまだなかった。よって、このクラスのレーサーと言えばヤマハのTZ250かホンダのRS250のどちらかでした。



FZR400FV仕様プロトタイプ
 この頃は400ccクラスのレプリカ時代到来でした。まずホンダがCBXベースの空冷のCBR400Fを発売し、その次にスズキがアルミフレームのGSX-R400を発売しました。ヤマハはXJ400ZSベースのFZRで全日本F3を戦い、その後FZ400Rを発売することになります。画像はそんなFZR400のFV仕様プロトタイプで、後ろには現行ヤマハの主力マシンのXJ400ZS(同じ年の従兄弟が乗ってたっけ)が写っています。そして肝心のカワサキは・・・・カワサキはいうと・・・・最後の最後に投入したのがGPZ400Rでした・・・・って???



ドカッティ
 ドカッティのレーサーみたいですが、さっぱり分かりませんねぇ 空冷のLツインというところは分かりますが900SSベースといったところでしょうか?この頃のレースは日本車勢のオンパレードで、今みたいにツインやシングルクラスのレースというのが盛んではなかったので影薄かったですね。


ポルシェ962C
 ポルシェのグループCカーとして後にルマン24時間耐久レースで優勝することになるマシンです。962Cは生産台数も多く日本でもWEC IN JAPAN等のレースで見ることが出来た馴染み深い車両です。一時期はルマンでポルシェ帝国を築いたマシンでもあります。


ホンダF2
 ホンダのF2マシンです。この頃は最高峰のF1の下のカテゴリーはF2で、その下がF3でした。排気量は異なるものの現在でいうところのフォーミュラ日本、それ以前のF3000のクラスになると思います。この頃からホンダはF1に参戦しており、ウィリアムズに供給する前のスピリットホンダのF1も展示されていました。


スピリットホンダF1

 と言う訳でスピリットホンダのF1です。この後、ウィリアムズにエンジン供給し、その後セナ・中島時代のロータスにもエンジンを供給することになりました。セナ・プロスト時代のマクラーレンホンダでは全16戦中15勝といった偉業も成し遂げ、ホンダ帝国を築きました。


編集後記

 1983年の東京モーターショーはいかがだったでしょうか。なに?レーサーの写真ばっかりでニューモデルの写真は無いのかってか・・・う〜ん、管理人はモーターショーに行ってもニューモデルの写真は撮らないんだよねぇ なぜ?ってそんなもん撮ったところで珍しいのはその時だけで、すぐに街に溢れちゃうでしょ!でも、今見たら結構面白いかもしれないけどね。当時はコンパニオンなんか目もくれずに飯も食わずに食い入るように見ていたっけ そんな東京モーターショーですがここ何年も足を運んでいません。淋しいですが、活気と希望に溢れたこんな時代は二度と訪れることは無いのかもしれませんね・・・







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