‘85 全日本ロードレース選手権

 1985年の全日本ロードレース選手権第2戦の模様をご紹介します。この時は確か高校を卒業する前後の頃だったと思います。前回初めてサーキットで見るプロのレースに大興奮して、有名ライダーを間近に見られることを知った管理人達はサイン色紙とマジック持参で筑波に乗り込みました。でも、後に他のサーキットへ行ってみると、一般的にはレース関係者のエリアと観戦エリアは完全に分かれており、ライダーを間近に見られる方が稀でした。まぁ、狭い筑波サーキットならではの光景で、一応パドックパスなるものもあるのですが、筑波の場合はこのパスが無いとインフィールドエリアに入れないし、価格も1000円と格安なのでパドックパスというよりは観戦券+αといった感じでした。




チームゲッター
 
 今はもう撤退してしまいましたが、かつて横浜タイヤはバイク用タイヤを製造しており、プロファイヤーのブランドでハイグリップタイヤを販売していました。確か、バイク用のラジアルタイヤを国内で初めて市販したのは横浜タイヤだったはず・・・そのときのブランド名がゲッター(ゲッターロボちゃうで〜)で管理人もジンプライズ相模原店(斉藤仁のお店)で在庫処分品を格安で購入しました。トレッドパターンはレーシングレインみたいで注目浴びたっけ!



 
プロジェクトXにも故人として登場した吉村秀雄(通所:ポップ)です。この頃はまだそんなに煩くなくてピット内にツカツカ入ってサインを貰えたんだよね(笑)最初は管理人も遠目で見てたけどみんな勝手に入れ替わりに入るので、ちょっと緊張したけど入ってサイン貰っちゃいました。でも、流石にその後はメカニックが規制してたけどね(苦笑)で、肝心のサインはPOPじゃなくてPOPOになってるけど・・・ポッポッポッ・・ハトポッポ・・・



FZ400R
 
 前回の’84第5戦の時はXJ400ZSベースでしたが、この頃になるとFZ400Rが市販されていたはずです。マシンはXJベースと殆ど同じに見えますがFZベースですかねぇ〜 ただこの当時に市販車にアルミフレームを採用していたのはスズキGSX-RとカワサキGPZ-Rだけで他社はスチールフレームでした。



GPZ400R
 
 BEETは空冷のGPz400FベースのF-3レーサーでしたが、前後16インチのGPZ400Rベースのレーサーも走っておりチーム38(カワサキ社内チーム)ですかね? 当時のカワサキはレーサーレプリカ時代から遅れをとった印象が強く影が薄かったように思いますが、このGPZ400Rはアルミフレームだったりします。(GPZ600Rはスチールフレーム)



辻本 聡 【写真上】
 ダイシンレーシングから8耐に参戦して入賞したことからヨシムラ入りした辻本さんです。この頃は確かF-1とF-3にGSX-Rでダブルエントリーしてた頃かなぁ でも残念ながら筑波ではF-1クラスのレースは行われなかったんだよねぇ〜 500ccクラスはあるのにさぁ〜 この頃のヨシムラカラーのクシタニのツナギは超格好良かったよね(笑)



大島正(BEET) 【写真上】
 
 当時大人気のF-3クラスでBEETのGPzを走らせていた故・大島正選手です。サインは丁寧に色紙にBEETのステッカーまで貼ってくれました。今思うと、水冷のGSX-RやFZ相手に空冷2バルブのGPzエンジンじゃ辛いだろうに・・・とは言ってもホンダも空冷のCBRだったので、恐らくここいらまでが熱的に空冷の限界だったと思われます。
 フェンダーはBEETお得意のエアロシャークフェンダーですかね?どこがサメなのかよく分からんが、昔はアルフィンカバーや跳ね上がったテールカウルなんかも人気あって、BEETはカワサキのイメージにぴったりだったよね!



平 忠彦 【写真上】
 
 1コーナー内側のウォーミングアップ場のゼッケン1のYZR500は言わずと知れた平さんですなぁ〜 前回は白・黒・赤の汚れた英雄(汚れたひでおじゃないよ〜ん えいゆうです え・い・ゆ・う)カラーのマシンとツナギでしたが、カラーリングを一新して赤・白のストロボカラーとなりました。目を閉じるとローズマリー・バトラーの「汚れた英雄」♪RIDING HIGH〜♪が聞こえて来るようだなぁ〜



ウィニングラン 【写真上】
 レースの勝者は、レース後にこのようにオープンカーに乗ってコースを一周して観客の祝福を受けます。オープンカーが真っ赤なシティのカブリオレってとこが泣かせるなぁ〜 管理人はシティのカブリオレを見るとツルモク独身寮の白鳥沢レイ子を思い出すのですが、皆さんは如何でしょう? 杉ちゅわ〜ん!



水谷 勝
 
 ウォルター・ウルフカラーのRGB500はスズキのワークスライダーの水谷勝で、まだ、ツナギがウォルター・ウルフカラーになる前のカドヤのON THE RACEです。後にツナギも車体と同じウォルター・ウルフカラーになるけど。この頃は完全に平忠彦の敵役だったよね!そんな当時のイメージと違って現在は「風の会」という障害者とタンデムでバイクを楽しむ慈善活動をしていたりします。



斉藤 仁 【写真上】
 プーマのメットの斉藤仁選手です。当時はバイクショップを経営するレーサーも結構いて斉藤仁さんもジンプライズというショップを経営していました。そういえば松戸にもUギヤという畝本さんがやっているショップがあったけど、今じゃ雑貨屋みたいになっちゃってるけどどうしたのだろう・・・



阿部 孝夫
 
 阿部孝夫(通称アベちゃん)は日本一速いデブ・・・じゃなくてボリショイサーカスの熊の曲乗り・・・でもなくれっきとしたHRCのワークスライダーでした。引退後は雑誌のインプレなんかも書いていたようですが浜松で漁師をしていたそうです。しかし、残念ながら2007に亡くなられたそうなのでサイン貰っとけばよかったかな・・・



平 忠彦 【写真上】
 画像は筑波の最終コーナーに突っ込む平さんですがブレーキングの音はまるでジェット機のようでした。平さんのツナギにはAIWAの文字がありますが当時はオーディオ機器として有名だったよね、管理人もAIWAのウォークマン(SONYじゃないから本当はウォークマンじゃないけど・・・)を持っていました。現在、AIWAはSONYに吸収されてSONYブランドのひとつになっているらしいけどね。



シティ・カブリオレ 【写真上】
 500ccクラスを制したのはやっぱり平さんで、白鳥沢レイ子の愛車のようなシティでサーキットを一周してました(笑)。画像右は筑波特有のパドックパスですが、このパスが無いとメインストレート下と1コーナー下のトンネルが通行できず。インフィールドに行くことが出来ませんでした。しかし、観戦券と併せても3千円って今考える超安いよね!


公式プログラム 【写真上】
 '85の全日本選手権シリーズの筑波ラウンド第2戦と第9戦の公式プログラムです。前年の公式プログラムは白黒のB5サイズ( '84の全日本選手権シリーズ参照)でしたが、この年からカラーのA4サイズとなりました。こんなことからも急速にロードレースの人気が高くなったことを感じることが出来ます。


編集後記

 今回は85年の全日本選手権の第2戦の様子を紹介してみました。こうやって振り返ってみると、当時の平さんや辻本さんは若くてスリムだったよね〜 平さんは雑誌「ビックマシン」のツーリング企画でたまに登場しているようだけど、ジェットヘルの中の顔が結構パンパンだもの(笑) でもジェッペルなのにちゃんと平カラーに塗ってあったりするんだよねぇ〜 それに引き換え辻本さんはたまにレースの解説者で登場したりするけど、多少老けたけど体形はあまり変っていないように感じます。まぁ、管理人もまだ18歳で今よりずぅ〜と痩せていたから他人のこと言えないんだけどね!今回はそんな懐かしの筑波サーキットの様子を紹介してみました。







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