’84 全日本選手権シリーズ(筑波サーキット)

 管理人がはじめてサーキットにレースを観に行ったのは高校生の時でした。当時はレースブームで「汚れた英雄」といったレースを題材にした映画もあり、平忠彦や水谷勝といったスターライダーだけじゃなく、ノービスでモリワキエンジニアリングからF3に出場していた宮城光なんかも大変人気がありました。その後、ヨシムラから辻本聡がF3に参戦(筑波はF1クラス無かったので)したりして、とてもサーキットが華やいでいた時期でした。そんなレース黄金期の画像を紹介してみたいと思います。



インフィールド
 T大附属○○高校の友人達と初めて筑波サーキットにレースを観に行った時のスナップです。インフィールドで観る初めてのレースは大変興奮しました。
 もう時効だけど学校に内緒でみんな中免保持者でした。高校卒業以来付き合いは無くなってしまったけどゲン・コクシ・ジュンキみんな元気かぁ?


ホンダNS500
 ホンダワークスのNS500です。ゼッケン3番はワークスライダーの阿部孝夫車で、アベちゃんはバイクのレーサーには珍しく太っていて当時はドラム缶なんて呼ばれていましたね!


ワークスF-3
 公式プログラム(当時は白黒だった)が見つからないのではっきりとは分かりませんがステッカーから今は無きワークス(真田哲道のショップ)のF−3マシンと思われます。マフラーはOVER製ですね!


鈴鹿レーシングVF400F 
 鈴鹿レーシングのVF400FのF−3マシンで、山本浩生のマシンかと思います。市販モデルと異なりインボードディスクは変更され、ホイールもブーメランコムスターではなくワークス風の星型コムスターになっています。


スズキRG500
 スズキのスクエア4エンジンンのRG500ですかねぇ まだアルミフレームではなくスチ−ル丸パイプフレームでタイヤも前後18インチです。黄色いホイールはカンパニョーロの5本スポークといったところでしょうか!


スーパーモンキーRS500R
 スーパーモンキーのRS500です。RSは市販レーサーのV型3気筒の2サイクル500ccレーサーです。当時はまだフレームとスイングアームはアルミではなくスチール角パイプみたいです。


ホンダNS500
 ウォーミングアップ場でのNS500です。当時は初めて間近に見るワークスマシンに興奮したなぁ〜
ゼッケン3番は安部孝夫車で、もう一人のホンダのワークスライダーは木下恵司でした。


チームCBX
 チームCBXのF-3マシンでベースはCBR400Fと思われます。管理人の最初の愛車も初期型CBR400Fでした。前16インチ後18インチの星型コムスターホイールが格好イイです。この後にカウル付きのエンデュランスが発売されたんだよなぁ


モリワキエンジニアリング 宮城 光
 モリワキエンジニアリングからF-3にCBXで出場していた宮城光は、ノービスライダーの甲子園である83年の鈴鹿4時間耐久レースで優勝し、とても人気がありました。マシンはアルミフレームのCBXで既にCBR400Fがデビューしていましたが、CBRのエンジンはCBXベースですから戦闘力はさほど変わらなかったと思います。ホイールは当時のレーサーの定番ダイマグのHスポークです。


バックストレート
 バックストレートでの各車の走りです。今回、写真は当時の縁付きのまま掲載しましたが、走行写真はトリミングしたので縁無しになっています。
モリワキ CBX 宮城 光 ヤマハXJ400ZS 江崎 正


BEET GPz400 大島 正


ヨシムラGSX−R 池田 直 チームCBX CBR400F


XJ VS GPz 【写真下左】
 レーサーレプリカ時代のF−3の戦いはそのまま市販車の販売台数に影響しました。ヤマハはXJ400ZSベースのレーサ−で参戦し、その後そっくりなFZ400Rを市販することになります。
ヤマハYZR500 平 忠彦 【写真上右】
 天気が悪くなってきてシャッタースピードが遅くなってブレていますが、映画「汚れた英雄」と同じデザインのプロショップ高井製のツナギの平忠彦です。YZRはまだ前後18インチですが、予選で唯一1分切りしてとても興奮したのを覚えています。しかし、技術進歩は目覚しく現在ではダンロップ先にシケインが出来たにも関わらず、T・O・TのモンスターエボリューションクラスではZベースで1分に迫るタイムです。


山本 浩正 & 宮城 光 【写真下】
 鈴鹿レーシングからVF400Fを駆る山本浩正は宮城光と並んでとても人気がありました。当時の山本浩正と宮城光はノービスながらジャニーズ並の人気でした。山本浩正は83年の鈴鹿4耐ではポールポジションを取るもののマシントラブルによりリタイヤしてしまいました。


金谷 秀夫 【写真下左】
 
当時ヤマハ監督だった金谷秀夫さんです。金谷さん自身もヤマハワークスレーサーとして活躍した人物です。
河崎 裕之 【写真上右】
 
いぶし銀のヤマハワークスライダーの河崎さん(通称:シャケさん)です。ツナギは平忠彦と同じプロショップ高井製です。プロショップ高井はヤマハのライダーだった故、高井幾次郎のブランドショップです。


水谷 勝 【写真下左】
 
スズキを代表するワークスライダーといえばRGB500を駆る水谷勝でしょう。ヤマハ勢がプロショップ高井のツナギなら、水谷はカドヤのツナギです。カドヤは現在はレーシングスーツに力を入れていないようですが、当時は有名ライダーが結構愛用していました。
斉藤 仁 【写真上右】
 
プーマみたいなメットでお馴染みの斉藤仁です。当時はジンプライズというお店を相模原のほうでやっていて、管理人もR246沿い環7交差点の近くの世田谷店にはよく行きました。斜め向かいには風魔プラス1なんかもあったりしてね。昔の管理人はヘルメットも斉藤仁レプリカを被っていてジャケットもジンプライズを愛用していました。


公式プログラム 【写真上】
当時の公式プログラムですが、白黒で大きさもA4ではなくB5サイズだったりします(苦笑)


編集後記

 今回は高校生の時に初めて筑波サーキットに観に行った '84全日本選手権シリーズの写真を紹介してみました。当時、雑誌でしか見たことのないレーサーを初めて真近に見て、その走りと音に大変興奮したのを覚えています。また、筑波は他のサーキットと異なりパドックで有名ライダーを真近に見られるのも魅力で、今までサーキットにレース観戦に行ったことの無い方は是非一度行ってみてはどうでしょうか。しかし、こうやって振り返ってみると当時のレースは大変盛り上がっており、活気に満ちていました。今回はそんな管理人の懐かしい青春の1ページを紹介してみました。







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