軍艦島探検記(海上炭鉱都市を訪ねて)

 
先日、九州に行く機会があったので、以前より気になっていた軍艦島に寄ってみることにしました。軍艦島とは、正式には端島といって長崎半島から沖合い4.5kmの海上にある小さな島で、昭和中期まで海底炭鉱の採掘拠点として栄えた場所である。島内には炭鉱施設や住居だけでなく、学校や病院、派出所や郵便局、理髪店や美容院、パチンコ屋・雀荘・映画館といった娯楽施設まであり、ほぼ完結した都市機能が備わっていました。最盛期の人口は5千人を超え、人口密度は東京の約9倍で世界一であり、日本で初めて鉄筋コンクリート造の高層住宅が整備された場所でもあります。しかし、昭和49年の閉山に伴い現在では当時の面影のみを残し海上に存在しています。




軍艦島ツアー 【画像下】
 
軍艦島へはいくつかの海運会社からツアーが企画されていますが、今回管理人が申し込んだのは「やまさ海運」の軍艦島上陸コースです。午前と午後に各1便が予定されていますが、必ずしも毎日運行している訳ではないようなので事前確認が必要です。また、当日の乗船は満席の可能性もあるので事前に予約することをお勧めします。
やまさ海運 【画像上右】
 
「やまさ海運」のツアーは大波止フェリーターミナルから出発します。桟橋には鎖国時代を連想させるような蒸気船(モドキ?)も停泊していましたが、ツアー船は画像上右の221名乗りのマルベージャ3(168人乗りのマルベージャ1も有り)になります。席は自由席ですが、島を時計周りに回るので進行方向右側に座ることをお勧めします。


三菱重工樺キ崎造船所 【画像下左】
 
長崎港を出航すると、まず右手に三菱重工業樺キ崎造船所が見えてきます。対岸にあるグラバー邸は造船所を見下ろすように立っていることから、戦時中には戦艦の建造を隠す為に三菱重工が買収したそうです。現在のドックにも護衛艦が確認できますが、大きな白い船体は管理人が北海道へ行くときにも使う新日本海フェリーの船体です。
女神大橋 【画像上右】
 
長崎港を出ると「ながさき女神大橋道路」(通称:ヴィーナスウィング)の女神大橋が見えてきます。この橋は海上からかなり高いところに設置されており、最大級の客船でも長崎港に入港出来るように考慮されています。


軍艦島 【画像下】
 
長崎港出航から約40分、目的地の軍艦島が見えてきます。島へは北東側からアプローチしてドルフィン桟橋を目指します。手前に見える建物は昭和33年に造られたRC造7階建ての第70号棟(町立端島小中学校)になります。
 いよいよドルフィン桟橋に接岸しますが、実はこのツアー必ずしも上陸出来るとは限らないのです。接岸条件としては波の高さ50cm以下、風速5m以下、視程500m以上などの気象条件が決められています。過去の上陸率については「やまさ海運」のHPにて確認できますが、季節によってもかなり変わってきます。また、上陸に際しては長崎市条例に従わなければならず、見学エリア外への立ち入りはもとより、飲酒や喫煙も禁止されています。


長崎市端島見学施設利用券 【画像上】
 
乗船料とは別に画像の長崎市の施設利用券(\300)が必要であり、この券は上陸の際必要となりますので、乗船後も無くさないようにしなければなりません。前記の理由等により止むを得ず上陸出来ない場合は、この施設利用料は返還される仕組みになっているようです。


上陸 【画像上】
 
本日は少し寒いものの、天候も良く波も穏やかで絶好の上陸日和です。この端島は南北に約480m、東西160m、周囲約1.2kmの小さな島ですが、本来は現在の1/3ほどの面積しかない小さな瀬であったそうです。それを明治時代より6回の埋め立て工事により現在の大きさまで拡張しています。


 画像は島の一番高いところに残る3号棟で、鉄筋コンクリート造4階建で住戸数は20戸、昭和34年に職員の社宅として建設されました。集合住宅において風呂や便所は共同でしたが、この3号棟だけは内風呂が完備されていました。また、これらの集合住宅には乗用エレベーターを設置する計画もあったようですが、実際には設置されることはなく、唯一、端島小中学校に給食運搬用のエレベーター(ダムウェーター)が設置されているだけでした。


第1見学広場

 長崎市の条例により島南部の見学エリア内しか立ち入りが許されておりませんが、画像はドルフィン桟橋からすぐのところにある第一見学エリアから見た二坑桟橋です。ここで、船内で配られていたカードにより2班に分けられ、今日は満席とのことなので全部で200人超のツアーになります。


貯水槽 & 端島神社 【画像上】
 
島の山頂には貯水槽(高置水槽?)が設けられており、ここから各戸に給水されていました。当初は、海水を蒸留したり、給水船で運搬されていたそうですが、最終的には海底に給水管を敷設したことにより給水制限は無くなったそうである。その他にも山頂には端島神社の存在も確認することが出来ます。


第2見学広場 【画像上右】
 
第2見学広場は総合事務所や二坑口桟橋の目の前に位置しています。【画像上右】の階段を使って炭鉱夫たちは毎日、坑道と行き来していたそうです。仕事から帰ると海水の風呂に服のまま入り汚れを落とし、真水は貴重だったので上がり湯にしか使えなかったそうです。


第3見学広場 【画像下】
 
第3見学広場の目の前には30・31号棟が正面に見えます。この30号棟は大正5年に建てられた日本最古の鉄筋コンクリート造のアパートで、当初は4階建てだったものが7階に増築されているそうですが、いくらなんでも3フロワ上乗せはやりすぎだろ! 当然、現在なら違反建築物だわな(汗)
第3見学広場 【画像上】
 
【画像上左】は製缶工場で【画像上右】はプールです。当初、このプールは島の北側にある端島小中学校近くに設けられていたそうですが、台風により破壊されてしまったので新たに島の南側に造られたそうです。しかし、プールの水は真水ではなく海水が使用されていたそうです。


端島小中学校 【画像上】
 
正面の建物は端島小中学校(70号棟)で1階から4階までが小学校、5階と7階が中学校で6階には特別教室が配置されていたそうです。島の学校の歴史は古く、明治26年に三菱社立による尋常小学校として設立され、その後、町立に変更され、島内には教員住宅も整備されていました。手前の門型の構造物は石炭を運ぶベルトコンベヤ跡です。


島内地図 【画像上】
 
島内の建物の地図です。狭い島内に大勢の人間を住まわせるために必然的に鉄筋コンクリート造の高層アパートが多数建設されましたが、幹部職員のための住宅は木造であったため、現在ではその殆どが全壊となっております。赤い線が見学を許されたルートになります。


南東から見た軍艦島 【画像上】
 
南東からは頂上の3号棟と貯水槽、右手に端島小中学校が確認できます。貯水槽の左側に立つ白い灯台は、無人島になって灯が無くなったことから設置されたそうです。


南西から見た軍艦島 【画像上】
 
南西からは正面にRC7階建の30号棟と左にRC6階建の31号棟が確認できます。31号棟は1階には郵便局、地下には共同浴場が配置されていました。


西から見た軍艦島 【画像上】
 
最も、多くの建物を確認が出来るのがこの西側です。当時は24時間眠らない島として不夜城のごとく海上に灯を燈す姿は、まさに軍艦のようであったに違いありません。


北東から見た軍艦島 【画像上】
 
北東からは、左に端島小中学校、右手にはRC9階建の65号棟と4階建ての67号棟が見えます。手前にはRC4階建69号棟の病院と2階建の68号棟の隔離病棟が確認できます。



上陸証明 【画像上】
 
天候の状況により上陸できない場合もありますので、上陸できた場合は下船時に画像のような上陸証明書を貰うことができます。過去の上陸率を見るとこの時期は結構いいみたいです。



編集後記

 今回、海上炭鉱都市の端島(通称:軍艦島)を訪れてみて、高度経済成長を支え繁栄してきた、海上に浮かぶ小都市のかつての賑わいを感じることが出来ました。この島では、当時まだ珍しかった家電の3種の神器(テレビ・洗濯機・冷蔵庫)が備わっていたことからも、いかに景気が良く活気に満ちていたか想像される。しかし、1960年以降、エネルギー革命により石炭から石油に移行し急速に島は衰退していく、仕事を失い、島を追われ、かつてこの島で働いていた方や生まれ育った方はどこへ行ったのか・・・故郷が無人島となり朽ち果てていくのはどういう気持ちなのか・・想像すると切なくなる。きっと思い出を胸に自然に帰るのを見守るしかないのだろう。私たちが出来ることは、この島を訪れても汚すことなく、破壊することなく帰ることである。それが、この島を故郷にもつ人達の願いだと思う。






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